娘の入院生活と産後の肥立ち
よく出産した後は20日ぐらいずーと寝ていて、お風呂も入れない中、体の回復を待って、床上げを待つ、という話を姑さんからずーと聞いていました。
出産後は本当に体がボロボロになるし、赤ちゃんのお世話に慣れないなか出ない授乳との戦いもあってたいへんよ、と。
確かに、出産するまでは旦那さんともそういう話をして、何もしないでいいフラグを山ほど立てていました。
どんだけ辛いかもわからず、そして想像することもなく。
しかし、というかやっぱりというか
娘の入院が確定したことで、私はそのまま付き添いで入院することになったわけです。
しかし、この入院。当たり前のことですが娘の入院であって、私の入院ではないわけです。
すると真っ先に困ったのは食事の問題。
ご飯がない。
娘は、病院からのミルクと私の母乳でいいわけですが、肝心の私の栄養源がなかったのです。
病院の設備として箱型の冷蔵庫を借りるも、一日100円カードで支払うシステム。
しかも小さい。頭のなかで内村さんのイッテQでみた中国でのホテルのくだりを今なら笑いながら話すこともできますが、その時は死活問題。
ご飯がない。おかずもない。水もない。
母乳なんて出るわけない。
病院内にコンビニはあるけれど、生まれたばかりの娘から目が離せない。
そのほかにも、赤ちゃんミルクのもらい方や、シャワーの使用法(15分)、オムツとミルクの記入方法から、うんちオムツの計測と保管、処理の方法、ベットの使い方と、シーツ・産着の交換についてなど、一気に覚えることがあり、産後の貧血気味の頭では全く処理することができませんでした。
でも、やるしかない。
使命感とか、責任感とか、そんな強い気持ちは全くなく
ただ、目の前にちっちゃなちっちゃな赤ちゃん(賢者face)がいる。
かわいいとか、可愛くないとか、そんなことも考えることなく
ただ、ぼんやりと体に重くのしかかる疲労感(これも後になって、あの時は辛かったと思い出す程度)に耐えながら入院生活を始めたのでした。
もし、同じ境遇のお母さんがこのブログを読んでいたら、言いたいのは
すごいよ、本当に。誰も褒めてくれないし、誰も気づいてくれないけど、本当に我が子の病気のことを最優先で何の見返りもなく1日をこなしてるあなたは、本当にすごく頑張っています。
先が見えなくて、夜中の授乳とかで泣きそうになる時もあるけれど、でもその1日が必ず赤ちゃんの明るい未来につながっていますよ。
そう、一緒に頑張りましょう。
娘の入院…、怒涛の日々。
娘の入院二日目、そして私の退院日。
産婦人科を出て、そのまま小児外科へ。そして個室に入っていた娘、と憔悴しきった旦那様。
一晩で何があったのか。どうやら、娘と初めて過ごす夜、何をしていいかわからずほとんど寝ずに起きていたらしい。
お疲れ様、と声をかけて娘との再会。
そのあと、怒涛の入院のための資料や署名を行いました。読めば読むほど頭が混乱してくる資料。とりあえず、書くだけ書いて、クリアファイルにしまうことに。
担当医に病状説明をしてもらい、病名を教えてもらうと胆道拡張症の疑いあり、とのこと。今まで3cmの黒いまる、だったものに名前がつきました。
今まで、エコーで形を見て、嚢胞というキーワードで散々検索していたため、その病名には馴染みがありました。
そして、もう一つの病名、胆道閉鎖症の可能性もあるよ、と。
同じような名前で、でも段違いに重さが変わってくる病名。
担当医の先生は、拡張症の方でほぼ話を進めていた。
もしも、の可能性で閉鎖症の話をしていた。
その違いは、私にはわからなかった。
ただ、担当医の口から語られない、生存率のパーセントばかり脳裏にちらついた。
様子をこれから見て行って、それによってこれからが決まります。
と言われ先の見えない入院生活が始まりました。
様々な同意書に署名をするたびに、底知れない不安がこみ上げてくるのでした。
産婦人科からの小児外科
ここからは、これから始まる赤ちゃんの入院治療について
まだ何の病気か確定できない状況が少しずつ変化していく毎日
不安と、産後の体調不良。初めての子育てと手術までの道のりです。
出産して四日目、赤ちゃんにしてみても生まれて四日目で小児外科に異動になりました。
ポットと呼ばれている赤ちゃん用のベットのまま、同じ棟にある小児外科へと転院です。
今までは、私が入院しているため、赤ちゃんは付帯物として扱われていましたが、これからは赤ちゃんがメインになるため、私が付帯物になります。
この病院では、24時間保護者付き添いが義務づけられているため、赤ちゃんの入院、即誰かがそばにいないといけない、ということになるのです。
しかし、私はまだあと1日入院しなければいけなかったため、代わりに主人がその日の晩赤ちゃんと過ごすことに。
しかし、困ったことが。今まで産婦人科の方では望めばいくらでもオムツが貰えたのに、小児外科に異動になると決まった瞬間に全てのオムツが回収されてしまったのです。
まあ、当然と言えば当然。あまり疑問も抱かず小児外科に異動し、さてオムツはどうするかというところで、
すいません、オムツどうしたらいいですか?
と質問
看護師さんも予想していなかったらしく、さまざまなオムツをかき集めてきてくれなんとか対応することに。しかしそれでも、結局足らず、どうしようもなくなり産婦人科に泣きつくことに。
夜中にまさかオムツをもらいに来る元患者がいるなんて考えもしなかったでしょうが、そこは優しく対応してもらいました。
そこまでであとは旦那様とバトンタッチ。私自身は産婦人科にある自分のベットに戻ることに。
そのあとは赤ちゃんと過ごせない不安よりも、これから始まる赤ちゃんのための入院生活のために考えないようにしながらも、不安な夜を過ごしました。
胎児+羊水+出血=痩せる体重?
簡単な算数の問題です。
生まれてきた胎児+羊水+出血=痩せる体重
ですよね。
そう信じている妊婦さん。私は少なくともそうでした。
出産のときに出血大量と言われ、生まれてきた胎児もしっかり40週お腹の中で育んできたのでしっかりまるまると太っており(しかも会陰切開しないといけない大きさ)、そして、健康的な和食ずくめの病院食とささやかなおやつ(病院提供)。
このラインナップ!
これは間違いなくがっつり痩せている、と当然ながら考えました。
取らぬ狸ではありませんが、とりあえず計算すると
2970g(赤ちゃん)+2618ml(羊水と出血)=4kg?ぐらい
ということは、66.6kgの体重がまあ、少なく見積もっても62kgになってるってことかな、と。
そして、退院当日。最後の計測日。
63.6kg…???
あれ?
あれれ?
たったの三キロしか減ってません。
正味、赤ちゃん分しか減ってない。
おかしい。
あれだけの苦しみを乗り越えたにも拘わらず、元どおり?
お腹の真ん中には、ラクダのコブがポヨンポヨン。
もしや、
産んだだけでは、
痩せない?
そう、気付かされた計測でした。
次回の内容は、いよいよ生まれたばかりの子供の入院についてです。
入院、手術、退院までの怒涛の約2ヶ月について、書き残していきたいと思います。
ラクダがお腹にやってきた
産婦さん。
そう、お腹にはかわいい赤ちゃんがいたけれど、すでに赤ちゃんは小脇に抱えている産婦さん。つまり、お腹の中は空っぽのはず。
はず。
では、なぜお腹のプヨりんは丸々としているのでしょうか。
出産後、様々な状況、会陰切開の痛みからの離脱を経て、ちょっと冷静にいろいろ考えることができるようになって、ふと自分のお腹を見ると。
丸いコブが一つ。
ポヨよよよーん。
と揺れる揺れる。
初めてラクダの背中のコブが脂肪で出来ていて、意外と柔らかいとい話を映像で見たときの衝撃にも似ています。
異常な柔らかさ。
例えて言うなら、パンナコッタをストッキングに入れて(水漏れしないという設定で)お腹の上で震わせているような、他人感溢れる塊。
なんじゃこら。🌚(大福ではない。)
ポロローンポロローン。
ピョルンピョルン。
右に左に右往左往できる質感です。
これは、しぼう?
よく、産後ダイエットは6ヶ月が勝負!何て言いますが、
ああ、これね。
って感じでこれなら落とせそうな脂肪感。
なんとも不思議な出っ張りとしばらく付き合うことになりました。
しかし、この脂肪。確かに落としやすいのかもしれないけれど、なんとも情けない形状。
せっかくワコールの産前産後ベルトをしつつも、
抑えきれないこの脂肪感(プルリン)。
旦那様に触ってもらうと、思わずの失笑。
いやいやこれに、今まで我が子が守られてきたんだから!
と思うも、少し情けないプルううん。
これからのダイエットにちょっとだけ不安がよぎるのでした。
妊娠線のその後、に続く
靴下は産婦の水虫対策だ。
そう。
靴下。
出産前までは、靴下屋の5本足の着圧ハイソックスを愛用し、夜はむくみキュアでしっかりケアをしていましたが
出産直前から靴下を履くのがお腹越しでは不可能になっていたせいもあり、
入院グッズにはむくみキュアとくるぶしの靴下二足しか入れてなかったのです。
ところが、出産後とにかく足が他人の足?ってぐらいに膨れ上がり、むくみキュアがなかなか入らない。
更にくるぶしの靴下はたった二枚では足らず、洗うこともできず、
最終手段で裸足で過ごしていたんですが、
妙に汗ばみ、買ったばかりのTOCCAのシューズは汗でベタベタに。
気がつくと足の裏の皮がべりべりめくれていて、
水虫か!
と恐怖でおののきました。
もし、あの時5本足のくるぶしソックスがあれば。
そう、後悔して止みません。
ちなみに足が元に戻るのに、約二か月ほどかかりました。
体重は増えてなんぼの妊婦さん。
産んだ直後と、その周辺の記憶がありません。
歩いていたような気もするし、足がガクガクしていたので車椅子だったような気もします。
とにかく、今となってはなんにも覚えていない。のです。(あらびっくり)
人間としての、守り、の部分でしょうか。いろんなものが吹っ飛んで行ったのでしょう。
けれど、分娩台に乗った時の、あの記憶だけは強く思い出すことができます。
そう、体重です。
もともとはふっくら体質。食べたら食べた分だけ大きくなれる健康体。
そして、妊娠を意識してからは、ダイエットはせず自然に三食を食べようと心がけていました。
妊娠中も産休中も順調に体重を増やしていたんですが、最後の一ヶ月付近から雲行きが怪しくなってきました。
足首だけは細いと自信があり(18.2cm)そのために約15年以上はムクミキュアと仲良くしていましたが、だんだん脚が太くなり体重も一気に増え始めたのです。
いわゆるむくみという悪者です。
このころは、体重に関しても鷹揚な気持ちで、よきにはからえスタンスを保っていたんですが、検診のたびにむくみのためにあんまりおしっこが出なくなり、検尿カップ25ccを搾り出すこともままならない。
しかも、濁りまで出てくるしまつ。
飲んでいる水分がいったいどこに消えているのか謎なぐらい、おしっこに関して問題を抱えていました。
そして、分娩台に乗った時、同時に体重も分かる仕組みだったようですが
なんと、
66.6kg!
まさか。
思わず、測りなおしてください!叫びました。
ゾロ目は好きだがオーメンはいただけない。
旦那さんに止められたので再度計測はしなかったんですが、心に強く残ったワンシーンでした。
そして、出産が終わった直後2600cc?ぐらいの出血がありましたと言われ、危なかったですねと言われる。
さすが隠れ糖尿病家系。もともと低血圧だったはずなのに、この時ばかりは高血圧最上位グループ入り!レッドゾーンだったようです。
それから、5日間部屋をあちこち移動しながら病院生活をしていたんですが、妊婦服をケチっていたためいろんなところで支障が出てきました。
なんとかなると思っていた妊婦服。かわいいからという理由で用意していたオフショルダーのワンピース。
そんなの着ている妊婦さんも産婦さんも一人もいない。
そんな、メルヘンな格好をしていたら、一人も友達できる気しない。
なので着るものがなくて、いろいろ旦那さんに西松屋さんとかに買い出しに行かせるものの重要なものを忘れていたのです。
そう。それは靴下。