産婦人科からの小児外科
ここからは、これから始まる赤ちゃんの入院治療について
まだ何の病気か確定できない状況が少しずつ変化していく毎日
不安と、産後の体調不良。初めての子育てと手術までの道のりです。
出産して四日目、赤ちゃんにしてみても生まれて四日目で小児外科に異動になりました。
ポットと呼ばれている赤ちゃん用のベットのまま、同じ棟にある小児外科へと転院です。
今までは、私が入院しているため、赤ちゃんは付帯物として扱われていましたが、これからは赤ちゃんがメインになるため、私が付帯物になります。
この病院では、24時間保護者付き添いが義務づけられているため、赤ちゃんの入院、即誰かがそばにいないといけない、ということになるのです。
しかし、私はまだあと1日入院しなければいけなかったため、代わりに主人がその日の晩赤ちゃんと過ごすことに。
しかし、困ったことが。今まで産婦人科の方では望めばいくらでもオムツが貰えたのに、小児外科に異動になると決まった瞬間に全てのオムツが回収されてしまったのです。
まあ、当然と言えば当然。あまり疑問も抱かず小児外科に異動し、さてオムツはどうするかというところで、
すいません、オムツどうしたらいいですか?
と質問
看護師さんも予想していなかったらしく、さまざまなオムツをかき集めてきてくれなんとか対応することに。しかしそれでも、結局足らず、どうしようもなくなり産婦人科に泣きつくことに。
夜中にまさかオムツをもらいに来る元患者がいるなんて考えもしなかったでしょうが、そこは優しく対応してもらいました。
そこまでであとは旦那様とバトンタッチ。私自身は産婦人科にある自分のベットに戻ることに。
そのあとは赤ちゃんと過ごせない不安よりも、これから始まる赤ちゃんのための入院生活のために考えないようにしながらも、不安な夜を過ごしました。
胎児+羊水+出血=痩せる体重?
簡単な算数の問題です。
生まれてきた胎児+羊水+出血=痩せる体重
ですよね。
そう信じている妊婦さん。私は少なくともそうでした。
出産のときに出血大量と言われ、生まれてきた胎児もしっかり40週お腹の中で育んできたのでしっかりまるまると太っており(しかも会陰切開しないといけない大きさ)、そして、健康的な和食ずくめの病院食とささやかなおやつ(病院提供)。
このラインナップ!
これは間違いなくがっつり痩せている、と当然ながら考えました。
取らぬ狸ではありませんが、とりあえず計算すると
2970g(赤ちゃん)+2618ml(羊水と出血)=4kg?ぐらい
ということは、66.6kgの体重がまあ、少なく見積もっても62kgになってるってことかな、と。
そして、退院当日。最後の計測日。
63.6kg…???
あれ?
あれれ?
たったの三キロしか減ってません。
正味、赤ちゃん分しか減ってない。
おかしい。
あれだけの苦しみを乗り越えたにも拘わらず、元どおり?
お腹の真ん中には、ラクダのコブがポヨンポヨン。
もしや、
産んだだけでは、
痩せない?
そう、気付かされた計測でした。
次回の内容は、いよいよ生まれたばかりの子供の入院についてです。
入院、手術、退院までの怒涛の約2ヶ月について、書き残していきたいと思います。
ラクダがお腹にやってきた
産婦さん。
そう、お腹にはかわいい赤ちゃんがいたけれど、すでに赤ちゃんは小脇に抱えている産婦さん。つまり、お腹の中は空っぽのはず。
はず。
では、なぜお腹のプヨりんは丸々としているのでしょうか。
出産後、様々な状況、会陰切開の痛みからの離脱を経て、ちょっと冷静にいろいろ考えることができるようになって、ふと自分のお腹を見ると。
丸いコブが一つ。
ポヨよよよーん。
と揺れる揺れる。
初めてラクダの背中のコブが脂肪で出来ていて、意外と柔らかいとい話を映像で見たときの衝撃にも似ています。
異常な柔らかさ。
例えて言うなら、パンナコッタをストッキングに入れて(水漏れしないという設定で)お腹の上で震わせているような、他人感溢れる塊。
なんじゃこら。🌚(大福ではない。)
ポロローンポロローン。
ピョルンピョルン。
右に左に右往左往できる質感です。
これは、しぼう?
よく、産後ダイエットは6ヶ月が勝負!何て言いますが、
ああ、これね。
って感じでこれなら落とせそうな脂肪感。
なんとも不思議な出っ張りとしばらく付き合うことになりました。
しかし、この脂肪。確かに落としやすいのかもしれないけれど、なんとも情けない形状。
せっかくワコールの産前産後ベルトをしつつも、
抑えきれないこの脂肪感(プルリン)。
旦那様に触ってもらうと、思わずの失笑。
いやいやこれに、今まで我が子が守られてきたんだから!
と思うも、少し情けないプルううん。
これからのダイエットにちょっとだけ不安がよぎるのでした。
妊娠線のその後、に続く
靴下は産婦の水虫対策だ。
そう。
靴下。
出産前までは、靴下屋の5本足の着圧ハイソックスを愛用し、夜はむくみキュアでしっかりケアをしていましたが
出産直前から靴下を履くのがお腹越しでは不可能になっていたせいもあり、
入院グッズにはむくみキュアとくるぶしの靴下二足しか入れてなかったのです。
ところが、出産後とにかく足が他人の足?ってぐらいに膨れ上がり、むくみキュアがなかなか入らない。
更にくるぶしの靴下はたった二枚では足らず、洗うこともできず、
最終手段で裸足で過ごしていたんですが、
妙に汗ばみ、買ったばかりのTOCCAのシューズは汗でベタベタに。
気がつくと足の裏の皮がべりべりめくれていて、
水虫か!
と恐怖でおののきました。
もし、あの時5本足のくるぶしソックスがあれば。
そう、後悔して止みません。
ちなみに足が元に戻るのに、約二か月ほどかかりました。
体重は増えてなんぼの妊婦さん。
産んだ直後と、その周辺の記憶がありません。
歩いていたような気もするし、足がガクガクしていたので車椅子だったような気もします。
とにかく、今となってはなんにも覚えていない。のです。(あらびっくり)
人間としての、守り、の部分でしょうか。いろんなものが吹っ飛んで行ったのでしょう。
けれど、分娩台に乗った時の、あの記憶だけは強く思い出すことができます。
そう、体重です。
もともとはふっくら体質。食べたら食べた分だけ大きくなれる健康体。
そして、妊娠を意識してからは、ダイエットはせず自然に三食を食べようと心がけていました。
妊娠中も産休中も順調に体重を増やしていたんですが、最後の一ヶ月付近から雲行きが怪しくなってきました。
足首だけは細いと自信があり(18.2cm)そのために約15年以上はムクミキュアと仲良くしていましたが、だんだん脚が太くなり体重も一気に増え始めたのです。
いわゆるむくみという悪者です。
このころは、体重に関しても鷹揚な気持ちで、よきにはからえスタンスを保っていたんですが、検診のたびにむくみのためにあんまりおしっこが出なくなり、検尿カップ25ccを搾り出すこともままならない。
しかも、濁りまで出てくるしまつ。
飲んでいる水分がいったいどこに消えているのか謎なぐらい、おしっこに関して問題を抱えていました。
そして、分娩台に乗った時、同時に体重も分かる仕組みだったようですが
なんと、
66.6kg!
まさか。
思わず、測りなおしてください!叫びました。
ゾロ目は好きだがオーメンはいただけない。
旦那さんに止められたので再度計測はしなかったんですが、心に強く残ったワンシーンでした。
そして、出産が終わった直後2600cc?ぐらいの出血がありましたと言われ、危なかったですねと言われる。
さすが隠れ糖尿病家系。もともと低血圧だったはずなのに、この時ばかりは高血圧最上位グループ入り!レッドゾーンだったようです。
それから、5日間部屋をあちこち移動しながら病院生活をしていたんですが、妊婦服をケチっていたためいろんなところで支障が出てきました。
なんとかなると思っていた妊婦服。かわいいからという理由で用意していたオフショルダーのワンピース。
そんなの着ている妊婦さんも産婦さんも一人もいない。
そんな、メルヘンな格好をしていたら、一人も友達できる気しない。
なので着るものがなくて、いろいろ旦那さんに西松屋さんとかに買い出しに行かせるものの重要なものを忘れていたのです。
そう。それは靴下。
出産は奥歯で噛み締めろ2
パン!っと音が聞こえて(旦那さんはきこえなかったそう。)、その後大量の水が出て来ました。
すぐに旦那さんは部屋を追い出され、私は出産ポーズになりいきんでいいよ!と言われました。
ところがいきみ方がわからない。
踏ん張るものの、なんか違う。
腰は浮かさず丸めて!とすかさず鬼コーチからの指示が飛ぶ。
わかんないヨゥと弱気になりながらも、とにかく陣痛の波に合わせて力を入れることに。
自分じゃない声をあげながら、とにかく踏ん張る。
途中、カテーテルを差し込まれて(チクッと痛い)銀色のコップにオシッコが入れられたり、鉄剤を飲んで暗くなったうんちが時々出るのが目視できるものの、サクサク交換され気にする暇なし。
そして、その時が来たのです。
これって、自分が頑張らないと生まれないんじゃね?
ものすごい悟りがきました。
今の今まで、ピークに達すると、するっと生まれるんじゃないかって都合よく思っていました。
そんなことはない。
完全に突きつけられて、その時思ったのは、羊水がない状態が続けば、赤ちゃん危ない。ということ。
次はない。
そう、ここでやっと本気を出さねばならないと覚悟を決めたのです。
今の今まで生きて来て、ここまで歯を食いしばったことはない。というぐらい歯をくいしばりました。
そして、陣痛の山に合わせていきみきむと、するっと赤ちゃんの肩の感触を中の方で感じたのです。
もう、いきまなくていいよー。と言われ
じゃ、切りますね。とさくっと切られ。
赤ちゃん出てきた!と思ったらあっという間に何処かに連れていかれました。
あれ?
一体どこに?
そうこうしているうち、切られたところを縫い始めることに。
麻酔するからね。
と言われ安心するものの、なんだかこれは痛い。
さっきまで全く痛いなんて言わなかったのに、この段階で
痛い大炸裂。
痛い痛い痛い。
チクチクいたい。
出産では、生まれなかったら困るから一言も痛いを言わなかったけれど、生まれたからにはこっちのもの!
痛いの連発、堪え性なし。
麻酔をバンバン打ってもらい、チクチク縫い縫い。
ところが、しばらくしても縫い縫いが終わらない。
あと、どれぐらいですか?と聞くと
今、内側が終わったから、これから外側ね。
?????外側?
トータル45分オーバーで縫合が終わり、解放されることに。
2500cc以上の羊水及び出血で危険水域までだったようですが、無事出産終了しました。
しかし、立ち上がるには足が痙攣して思うように動かない。
まるで、生まれたばかりのカモシカのよう。
そして、我が子はどこ?産んだはずの我が子は?!
スヤスヤ卵ケースの中にいる我が子。と言いたいけれど、この辺りの記憶は曖昧で、旦那さんに聞いてもうろ覚え。
抱っこは一度もせず、病室がわりの陣痛室でぐったりしていました。
その日はトイレに行くにも車椅子、トイレのたびに遠慮がちにナースコールをしました。
出産は奥歯で噛み締めろ!
気合いだ気合いだ気合いだ!
の出産。
予定日に産む!でも書きましたが、さらに追記です。
もちろん、いろんなサイトで出産について語られていたのを不安に駆られる度、予定日が近くになるにつれ、熟読し、学んだことを旦那さんに共通理解を図りました。
そもそも、立ち会い出産ができない病院だったので、肝心なところは見られないこともあり旦那さんは少し残念そう。
テレビでも、出産シーンが取り上げられたりイッテQで出川さんの出産体験などもあり、あんまり見られるのは嫌だなあと思っていました。
そんな苦しんでるところを見ないで欲しい。
追い討ちをかけるように、さまざまなサイトで
あまりの苦しみに
罵詈雑言を旦那さんにぶちまける
途中で出産がストップする
など、困難な状況が展開していました。
あまりに壮絶な状況に、思わず旦那さんには
私が何か言っても、世の中の出産がほとんどそうなんだからね。
と、先に言い含めておきました。
そして迎えた出産当日。
夜中の0時過ぎからスタートした陣痛。
腰をさすってもらおうと最初は思っていましたが、
手の皮が擦りむけるまでさすりやがれ!
しかし、実際にさすってもらうとすごく気持ち悪い。何にもしないで!と言い捨て、繰り返しやってくる陣痛と一人で戦うことに。
途中、兵力温存の為旦那さんに寝てもらい私はたまカウンターを使い陣痛をカウントし続けました。
家で繰り返しやってくる陣痛を7時過ぎまでやり過ごし、テンピュールのマイ枕を持って病院へ。
いきなり破水して、なんて事もなく休憩を挟みながら産科へ。
産科に着き、先に夜中に電話したことを伝えると、よく頑張りましたねと褒められ、部屋が空いていないので陣痛室を飛ばして分娩室へ。
繰り返しやってくる陣痛が段々強くなり、今度は旦那さんに腰を押してもらい、途中からは足を抑えてもらいました。
なんていうか、飛んでいきそうだった。
陣痛が来た!と思ったら、取り敢えず息を吐く吐く吐く!
陣痛に山があるので、山を越えるまでが凄まじい、例えられない感覚。
なおおおおおっ。
手元のベットのバーが踏ん張る時にものすごく役に立ちました。
もうダメだ、なんて思うたんびに
破水したかな?子宮口開いたかな?と看護師さんが手を中に突っ込んでくる。
ヨウ素液にまみれた手を躊躇なく入れてくる。
それもびっくりだけれども、中にある羊水の膜を触られてポヨンポヨンしているのが感覚としてわかるのです。
まだ、(羊水が割れてないから)もう少し我慢してね。
マジか_:(´ཀ`」 ∠):。
そして。何度目かの山を越えた頃
パン!と羊水の膜が破れたのです。
続きは、出産は奥歯で噛み締めろ2へ。